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結婚して10年、病気と不妊と妊娠と夫婦関係について

結婚して10年、病気と不妊と妊娠と夫婦関係について

この記事では、私自身が経験した病気や不妊・そして夫婦関係についてお話します。

学生まで平凡に生きてきて、これからも「普通」の人生が歩めると思っていた10代。

しかし、20代の私の人生は「普通」とはかけ離れた、試練ばかりの10年間となりました。

これは、私が必死に生き抜いた怒涛の10年間の記録です。今まで1人で抱えて、誰にも言えなかった本音を正直に話そうと思います。

私は長年、病気と不妊に悩み苦しみ、結婚10年目にして妊娠することにができました。

他の人の妊娠報告がつらいという方もいらっしゃるかもしれません。私もその1人でした。

もし今不妊で悩んで苦しんでいる方がいましたら、見るのがつらくなった時点で読みすすめるのをやめていただければと思います。

当たり前だと思っていた「仕事・結婚・妊娠」

小さいころから自分は周りと同じように「仕事・結婚・妊娠」できると思っていました。

正社員でバリバリ働き、恋愛もたくさんして、結婚して幸せな家庭を持つ。

小学生のころから結婚して子供を持つことに憧れ、自分の子供の名前をよく考えていました。

何歳には結婚したい、こんな人と結婚したい、子供は何人ほしい、たくさんの理想を考えていた10代の頃。

当たり前に「普通」の人生が歩めると思っていた私。まさか「こんなはずじゃなかった」人生になるなんてと思っても見ませんでした。

簡単にですが、私が経験した10年間で起こったことを紹介します。

  • ブラック企業に就職
  • 過酷すぎて病気になる
  • 母親を亡くす
  • 結婚するも貧乏
  • 精神面・金銭面・健康面・全部ボロボロ
  • 生活が安定してくる
  • 念願の妊活!しかしできない
  • 不妊という現実
  • 諦めた不妊治療
  • 子供がいない夫婦の未来を考える
  • まさかの結婚10年目にして妊娠

20代に入ってブラック企業に就職してから、私の「こんなはずじゃなかった」人生が始まりました。

仕事と病気、こんなはずじゃなかった①

10代までの私は、そこそこ勉強できて、バイトも恋愛も順調だったため、人生を完全になめていました。

専門学校に入り、バイトや友達と遊びまくり、就職先をまじめに考えていない私。

とりあえず就職できればいいやと言って就職した会社が、まさか「ブラック企業」とは知らずに。

私が最初に入社した会社は、正社員と募集してきながら、雇用保険なし・社会保険なし・残業代なしなど、法律ガン無視のれっきとしたブラック企業。雇用保険は売上ノルマをクリアした人しか入れないという謎のルールまでありました。

しかし、社会の常識すらわからない新卒の私は、それがおかしいことすら知らず、一生懸命働きました。

売り上げ目標が達成できなければ、給料減額・全員の前で社長から30分以上ののしられる社員もいる中、ノルマ達成に必死になる日々。

「石の上にも3年」ということわざを信じ、すぐにやめることはできないと歯を食いしばって働きまくった結果、体に変化が起きました。

全く頭が回らない、気力が出ない、生きている感覚がない。体重は10キロ以上減り、当時の私は顔が青く目が死んでいたそうです。

私の様子を周りがおかしいと感じはじめ、病院に行くようにすすめられました。

病院に行くと、すぐにドクターストップがかかり、休職することに。

「うつ病」「パニック障害」という病名がついた瞬間、「普通」というレールから外れ、私の人生は終わったと絶望しました。

その時から付き合っていたのは今の夫で、私の病気を知ってからもずっと寄り添い支えてくれた唯一の人です。

病気になってからは、まともに仕事ができなくなり、転職してもなかなか続けることができずに辞めてしまうことが多かったです。

必死に働き、元気そうに振る舞い、また頑張りすぎる自分を追い込んだ言葉は、

「元の自分に戻りたい」

「みんなと同じ普通の人生を送りたい」

ただ、それだけでした。

夫に結婚を申し込まれたとき、「病気持ちだから苦労するよ、絶対やめた方がいい」といった私に、

「病気も個性みたいなもんでしょ?みんなと何も変わらないよ」

そう言ってくれた夫の言葉に救われ、一生この人と一緒にいたいと思い結婚することに。

夫の支えもあり、病気と向き合い、一緒に生きていく決意をしたことで、次第に体調も良くなってきました。

親の死と結婚、こんなはずじゃなかった②

病気とうまく向き合い、仕事も順調だった矢先、母親の病気が発覚しました。

「余命3ヶ月」と診断され、すぐに入院生活となった母親の看病がはじまります。やせ細っていく母親の姿を受け入れらず、私は心も体もボロボロでした。

当たり前のように80歳のおばあちゃんになるまで生きると思っていた母親が、こんなに突然亡くなるなんて思わなかった。

絶望と悲しみの中で、少ない時間で自分にできる精一杯のことをしましたが、本当はもっと親孝行したかった。

大切な人の死はいつだってすぐ近くにあり、生きていることが当たり前じゃないんですよね。それは自分の命も同じで、いつ死ぬかわからない。

だからこそ、大切な人との時間を大切に過ごし、思い残しや後悔がないようにしていきたい。そう思えるようになりました。

母親の死を乗り越えられたのも、今の夫が支えてくれたおかげでもあります。

夫と結婚し、お金がなく貧乏でしたが、幸せで楽しい時間を過ごすことができていました。

当時の私たちはまだ若く、精神面・金銭面・体調面でもまだまだ不安定だったため、子供は生活が落ち着いてからにしようと決めていました。

夫が低収入なので、子供を作るなら産休が取れる正社員にならなくちゃ!と必死に正社員で働くも、無理をしすぎて病気が再発してしまうことに。

もう正社員では働けない、限界を感じた私はパートに切り替え、家計を見直して貯金することで妊娠・出産に備えようと考えを切り替えました。

ずっと飲んでいた薬もやめることができ、貯金も夫の仕事も安定してきました。

ついに、私たち夫婦も「妊活」というステージへ。

念願の妊活!すぐにできると思っていた

念願の子供を作れる!キラキラの妊活ライフが待っていると思った私。

しかし、現実は悲しみと絶望の日々でした。

とりあえずタイミングをとれば3ヶ月くらいで妊娠できるだろう。そんな甘い思いではじめた妊活。

3ヶ月、6ヶ月、1年、あっという間に時間が過ぎていきました。

「まぁ、まだ2人で飲みに行けるからいっか!」

「まだ若いし、やりたいこともあったから今月妊娠できなくてちょうどよかったよ」

リセットが来るたびに、何かしら理由をつけて納得できていたうちはよかった。

妊活をはじめてしばらくすると、自分よりも先に妊娠していく周りの人、知っている芸能人の妊娠報告が次第につらく感じてくる。

「なんでできないんだろう」

「周りはあんなにも簡単に妊娠できているのに、なんで私だけできないの?」

「こんなに毎月頑張っているのに、なんで結果が出ないの?」

だんだんと焦りと不安がでてきた妊活生活。気づいたときには妊娠することにとらわれ、周りの妊娠報告に敏感になり、イライラするように。

はじめて会う人からは、

「結婚は?お子さんは?結婚何年目?」

「子供は早く作った方がいい」

「子育ては体力勝負だから、30歳までには生んだ方がいいよ」

とよく言われました。

知り合いや、私の妊活を知っている人からは、

「〇〇ちゃんにもきっとできるよ。」

「赤ちゃんは母親を選んできてくれるんだって。だから待っていればきっと赤ちゃんが来てくれる」

「子供は生きがいになるよ。子供がいる幸せを知ってほしい。諦めちゃだめだよ」

「私の知り合いにも妊活をしていた人がいたけれど、〇〇したら妊娠したみたいだよ!」

「(子供がいる人から)つらいよね。気持ちわかるよ。」

これを言われると、悪意がないってわかっていても、余裕がない心では対応しきれないときがありました。

でも正直、自分も簡単に妊娠して子供を持てていたら、同じことを言ってしまっていたかもしれない。

元気づけようとして、前向きになってほしくて、きっと同じ言葉を妊活をしている人にかけてしまうかもしれない。

妊娠した人と、妊娠したくてもできない人の間には、「分かり合えない大きな壁」があります。これは本当にどうしようもないんです。どちらも悪くないはずなのに。

自分が不妊という立場になったことで、人の言葉がこんなにも心にダメージを与えるということを知れました。

でも、妊活がこんなにつらいなんて知らなくていい人生の方が良かった、というのが本音です。

不妊という現実、壊れていく心

妊活から2年経ち、タイミングでは難しいのではないかと限界を感じ始めた私たち夫婦。

夫は「子供はいつかできれればいいや」くらいの軽い気持ちだったため、毎月リセットが来ても楽天的でした。

しかし、私は「妊娠すること」にどんどん必死になり、リセットが来るたびに「女性失格」の烙印を押されているような絶望を感じていました。

少しでも妊娠初期症状っぽいできごとがあれば、検索して一喜一憂する日々。

生理が遅れれば、もしかしたら!と早期妊娠検査薬を試して、真っ白な検査薬に絶望する日々。あの真っ白な検査薬に、毎回イヤになるほど過酷な現実を突きつけられました。

夫に何度も落ち込む姿を見せて気を使わせるからと、誰もいないスーパーの駐車場まで行き、車の中で思いっきり泣いたときも。

妊活をしてから一番イヤだったのは、自分の性格がどんどん醜くなっていくこと。周りに嫉妬し、攻撃的になり、なんで自分だけこんなつらいのと、周りに当たり散らす自分が一番嫌いでした。

「一度、病院で妊娠ができる体なのか、お互い検査してみない?」

ようやく自分たちでの妊活に限界を感じ、一歩踏み出そうと夫に伝えてみました。すると、私が望むなら検査すると快く受け入れてくれた夫。

2人で検査を受け、結果はお互い問題なし。

そのまま病院での不妊治療を受けたいと思い、検査してもらった産婦人科のおじいちゃん先生に相談しました。

「不妊治療できる病院は限られている、うちではできないから紹介状なら書けるけど」

「あなたはまだ若いでしょ。タイミング取っておけばすぐできるから。体温下がったらその日夫に協力してもらえばいいだけだよ」

「不妊治療っているのは35歳以上の人がやるもの。あなたはまだまだ若いんだから不妊治療なんて必要ない」

おじいちゃん先生から衝撃の言葉が並べられた私は、涙をこらえるのが必死でした。

今すぐ子供が欲しいのに。若いとか年齢とか関係ない。2年も頑張ってできないから、勇気を出して病院に来たのに。

ただ、子供がほしいだけ。だから不妊治療がしたかった。

帰宅したあと号泣し、夫にも言われたことを伝えると、もうそんな病院行かなくていいとはっきり言ってくれました。

不妊治療というハードル、超えられなかった壁

産婦人科に行くのが怖くなってしまった私。

ただでさえ妊活で心がボロボロなのに、助けを求めた産婦人科に不妊治療の必要がないといわれてしまった。

不妊治療がしたいと新しい産婦人科に行ったときに、同じ言葉やそれ以上に厳しい言葉をかけられたら、私は耐えられるだろうか。

正直、病院で不妊治療をしても、突きつけられる現実と向き合うのが怖くて、もう逃げたいという気持ちが本音でした。

私の住んでいるところで不妊治療ができる病院は数件。さらに県外からも不妊治療をしている方が来るため、不妊治療を本格的に病院で受けるには、仕事を1日中休む必要があります。

私の働いている会社は、家族経営で男性だけの職場。できれば不妊治療をしていることは隠したい。

さらに、1人事務で代わりがいないため、病院に行くために急に休みを取るのが難しい環境でした。

夫の仕事も激務かつ長時間労働のため、夫自身も不妊治療と伝えて職場に配慮してもらうのは難しい状況。

働きながら不妊治療をする難しさと、不妊治療をしているということを周りに話すハードルが高すぎて、私たち夫婦は病院での不妊治療を諦めることに。

今後もとりあえず、自分たちでタイミングを取る方法を続けようという結論に至りました。

子供がいない人生、夫婦関係の変化

妊活には〇〇がいい。

〇〇したら、妊娠できた。

たくさんの妊活情報をかき集めては、実践する日々。

諦めたら妊娠できたとよく言いますが、子供がほしいのに諦めるなんて不可能に近い気がします。

諦めるって何?

子供がいらないと完全に思えるようになったら?

妊活を諦めてタイミングすら取らなくなったとき?

毎月生理がくるたびに落ち込み、このまま一生妊娠できないのかもしれないと本気で思い始めました。

妊活は、先が真っ暗で見えないトンネルを進むような感覚に近い気がします。

妊娠するまでやめられない、心も体も限界、でも諦めることもできない。

私の人生、これからもつらい妊活に支配され続けるだけでいいのだろうか?

ふと、夫の人生も考えました。

妊活をしている間、夫は私が妊娠できなくても、しょうがないと毎回元気づけて支えてくれました。

しかし、夫の本音はどうなんだろう。

妊活に必死すぎて、夫の気持ちを全く考えていなかった私は、そこではじめて夫の意思はどうなんだろうと気になりました。

私が人生で絶望していたとき、いつもそばで支えてくれたのは夫です。夫がいたから、今私が生きていられる。

妊娠したい理由は、夫とのかわいい子供がほしいから。夫を父親にしてあげたい。ただその一心でした。

このまま、私が妊娠することができなければ、夫は自分の子供を抱っこすることもできないかもしれない。

いつかタイムリミットが来て、子供ができなかったとき、夫は後悔しないのだろうか。

もし夫が、本当は子供が欲しかったと思っていたなら、私は後悔しないだろうか。

その時、私自身は妊活に疲れ、子供がいない人生をどう生きるか前向きに考えはじめていました。

しかし、もし夫が子供ほしいという気持ちがあるなら、道連れにしてはいけない。

夫には幸せになって欲しい。隣に私がいなくても、子供が欲しかったと後悔する人生にしてほしくない。

ある日、夫ときちんと話し合いの場を設けて、自分の気持ちを伝えました。

私は、これからも妊娠しないかもしれない。子供のいない人生を歩む可能性のほうが高い。

私はその人生を受け入れる準備を今している。

けれど、もし〇〇(夫)が本当に子供がほしいなら、私は離婚しても大丈夫だよと。

一番嫌なのは、いつか子供が欲しかったと後悔する夫の姿を見ること。

だから、真剣にこれからのことを考えてほしいと。

夫は最初、私が冗談を言っていると思ったようです。

しかし、真剣に説明する私の顔を見て、これマジなやつと思ったようで。

その後、2人で泣きじゃくりながら、話し合いました。

夫の気持ちは、子供はいてもいなくてもいい。2人でも充分幸せだし、死ぬまで2人でバカやって笑って暮らそうと言ってくれました。

その言葉を聞けてようやく、「あぁ、やっと妊活から開放される」と安堵したのを覚えています。

私が妊活に必死だったのは、夫に「普通」の家庭を持たせてあげたかったからなのかなと思いました。

ある時から私は、普通の人生というレールから外れて、夫もその人生に巻き込んでしまった。

せめて、結婚して子供を持つという、当たり前で普通の家庭を作るのが私の使命だと勝手に思い込んでいました。 

「私達夫婦は普通じゃなくていい。2人で笑いあって暮らせれば、もう人生満点じゃないか。」

2人で決めた結論に満足した私は、やっと妊娠しなくちゃいけないという呪縛から解放されました。

「普通」を手放した私の人生、そこにある幸せとは?

妊娠できなくても、子供がいなくても、夫は私と一生一緒にいてくれる。

たったそれだけで心は安定し、次第に自分の人生一度きりなんだから、毎月リセットで落ち込むよりも自分の人生を楽しみたい!と思えるようになりました。

子供を諦めたわけじゃないので、毎月のタイミングはできる限りで取っていましたが、次第に排卵日や生理予定日を数える回数が少なくなってきました。

今までは、子供ができたらお金がかかるから貯金しなくちゃと節約に励み、妊娠を目標として生きる日々。

しかし、子供はできないかもしれないのに我慢してお金を必死に貯める必要あるのかな?と思うようになりました。

妊娠すること、母親になることに、ずっととらわれ続けていた私。

やっと妊活の呪縛から解放されて、自分の人生を楽しんじゃおうと思えるようになった私は、やりたいことリストを作り実行することに。

まずは自分が好きになれるように、ダメだなぁと思いつつやめられなかった習慣をやめました。

ストレスのはけ口だった大好きなお酒をやめ、ジムに通いダイエットを開始!

ジムに通いはじめて、運動する習慣ができたことで、気持ちも前向きに明るくなりました。

コンプレックスだった体型も引き締まり、自分に自信が持てるように。

さらに、前から挑戦したいと思っていた資格取得の勉強も始めました。

資格取得の次に挑戦したのがブログです。

ブログを始めてから、自分の人生がガラリと変わりました。

夢中になれるものがあるって、こんなにも人生を豊かにするんだと知ることに。

もっとこうしたい!こうなりたい!と次々とやりたいことが増え、やっと真っ暗なトンネルから抜け出して、自分の未来がキラキラと輝き出したのを覚えています。

お互い好きなことに夢中になることで、夫との関係も今まで以上によくなり、今では夫婦喧嘩すらしなくなりました。

結婚10年目にして、まさかの妊娠

お互い好きな趣味に没頭しつつも、毎月の妊活は続けていました。

まぁ、できたらラッキーくらいにしか思っていなかったので、妊娠することに期待することをやめていました。

そんな中、生理が遅れていることに気づき、まさかと思って妊娠検査薬をしてみたら、初めて2本線を確認。

正直、妊娠していることがわかった瞬間、怖くてしょうがなかったです。

頭によぎるのは、ダメになるかもしれない恐怖と不安。また妊娠に人生を左右される日々が始まるのかと思うと怖かったです。

妊娠が分かっても素直に喜べない私。

どうせ私の人生には不幸がついてまわる。いつも期待しては裏切られてきたから、今回もそうかもしれない。

案の定、私の妊娠は順調とは言えず、初期から出血が止まらなくて、赤ちゃんの命を守るためにも自宅安静の指示が出ました。

ただ毎日、お腹の中で生きていてほしい。どうか天国に行かないで。そう願いながら毎日を過ごしました。

その後、なんとか山場を乗り越え、安定期に入ることができました。

家族や周りの人には、ダメになったときに気を使わせたくなかったため、安定期を過ぎてから報告することに。

妊娠中もダメになったらどうしようという不安のほうが大きく、素直に喜べませんでした。

無事に生まれてくるのか、健康に生まれてくるのか、毎日不安な日々を過ごし、キラキラなマタニティライフとは程遠かったです。

ベビー用品も、無事に生まれるか分からないからと、ギリギリまで準備せずにいました。

現在、ようやく臨月を迎えることができました。あとは無事に生まれてくることを祈るのみ。

たとえ、どんな結果であっても、すべて受け入れる覚悟はできています。

妊娠することができて、少しの間でも念願の母親になれた。それだけで幸せだと思っています。

「幸せ」は自分が決める。いろんな人生があっていい

長年、妊娠できずに悩み、苦しんだ経験から学んだことは、経験した人にしかわからない苦しみがあるということ。

相談した相手によく、「気持ちわかるよ」とか「それはつらいよね」とか言葉をかけられることってありますよね。

私も以前は友達に・家族に・周りの人に同じ言葉を言ったことがあります。想像したらつらいことがわかるから、安易に「わかる」なんて言葉を使っていた自分が恥ずかしくなりました。

不妊に悩み苦しんでいる時、すぐに妊娠した人に「気持ちがわかる」と言われ、「あなたにこの気持ちがわかるはずがない」と思ってしまったんです。

病気でも不幸な出来事でも、自分が経験して苦しんだことがないなら、軽々しく「その気持ち、わかるよ」なんて言葉はいってはいけないんだと自分が体験して気づかされました。

あと、自分の「当たり前」や「普通」を人に押し付けてはいけないということ。

自分が不妊で苦しむ前は、結婚して子供を持つことが幸せであり、それが世間の共通認識だと考えていました。

付き合っている人がいると言えば「結婚は?」

結婚していると聞けば「子供は?」「結婚何年目?」

子供がいると聞けば「2人目は?」

いつもどこかで聞こえてくる会話ですが、この会話で傷ついたり複雑な気持ちになったりする人がいるということを以前は知りませんでした。

しかし、いざ自分に子供ができなくて苦しんでいる時に、「お子さんは?予定は?」と聞かれることが苦痛になることに。

初めて会話する人だと必ず聞かれるため、身構えて「あぁ、またこの質問か、イヤだな」と思うようにもなりました。

「幸せ」は人それぞれ。1人の時間を楽しもうが、夫婦だけの時間を楽しんでいようが、その人が「幸せ」を感じていればそれでいいんです。

勝手に自分の「普通」や「当たり前」を押し付けて、「結婚することが幸せ」だとか、「子供を産むことが幸せ」とか人の幸せまで決めつけてはいけないということを病気や不妊を通じて学びました。

私は、ひとそれぞれ違う幸せを「素敵な人生ですね」と、お互い言い合えて尊敬できるようになれたらいいなと思っています。

その人が心から充実して楽しんでいる人生なら、他の人が人の幸せにどうこう言う権利なんてないんです。

この10年間、たくさんつらい思いをして、人の言葉に傷ついてきたからこそ、たくさん気づけたこともあります。

「普通」の人生から外れてしまった自分。昔の自分には戻れないと受け入れ、「普通」じゃない自分だけの人生を送ることを選びました。

今では、昔よりも自分のことが好きになり、自分の未来にワクワクしています。

この記事は、ブログを始める時から書こうと思っていたテーマでした。

10年悩んで苦しんだという気持ちや経験を自分の中で整理して、前に進む準備をしたかったからです。

病気や不妊と向き合ったことで、結果として自分の幸せに気づけました。好きなものもたくさん発見できました。

これからは自分が手に入らないものよりも、今自分が持っている好きと幸せな時間を大切にしていきたいと思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

少しでも誰かの役に立てるような記事を書きたいと思い、このブログを始めました。

今後とも、にゃん吉のお金ラボをよろしくお願いいたします。

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にゃん吉

*ずぼらでせっかちな30代主婦 *2023年からフリーランスで活動中 *地方で賃貸戸暮らし *家族構成:夫婦+0歳児+犬1匹 *半年で簿記3級&FP3級・FP2級取得 *貯金ゼロで節約も貯金も失敗ダラケの主婦が日々奮闘し、年間生活費170万削減・年間180万の貯金に成功☆ 誰でも簡単にできる節約&貯金方法をご紹介します!

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